放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(26)
コピーライターをしていた1981年秋、私の生活は一変しました。いや、人生が変わりました。翌年春に放映するコント番組「ゲバゲバ90分!+30」を前に、日本テレビが募集した新人放送作家の座を射止めたのです。
69年から71年まで放映された人気番組「巨泉×前武(まえたけ)ゲバゲバ90分!」の特別版。「巨泉×前武-」は長崎・佐世保での少年時代、「シャボン玉ホリデー」や「てなもんや三度笠」と同じように、14型白黒テレビの前でくぎ付けとなった伝説的番組です。
「巨泉×前武-」は大橋巨泉と前田武彦の司会、ゲストが繰り出すギャグで最高視聴率26・2%を記録。特別版のスタッフもプロデューサー井原高忠さん、ディレクター斎藤太朗さん、コント作家河野洋さんのベストメンバー。当時フリーだった井原さんは日本テレビ時代に「11PM」や「24時間テレビ 愛は地球を救う」を発案。ギニョさんこと斎藤さんは「欽ちゃんの仮装大賞」を手掛けました。
河野さんは青島幸男さんの一番弟子。コント作家をしていた頃の井上ひさしさんが、河野さんのギャグセンスと台本を仕上げるスピードにはかなわないと舌を巻いたそうです。青島、井上ご両人は直木賞作家。コントにおいて青島さんのセンスを受け継ぎ、「日本のシェークスピア」と例えられた名文家の井上さんを凌駕(りょうが)した河野さんは格別な才能を持っていました。
「ゲバゲバ」をはじめ、コント55号のコントや後の「天才・たけしの元気が出るテレビ‼」に携わった放送作家喰始(たべはじめ)さんも制作に加わりました。特別版に対する日本テレビの力の入れようは相当なもの。きら星のごとく輝く人気番組のヒットメーカーたちの中で、私は無名の新人でした。
野球に例えれば3年連続日本一を目指す福岡ソフトバンクホークス。上林、デスパイネ、グラシアル、内川の強力打線に加わった謎のルーキー海老原。新人放送作家募集で120倍の難関を突破したドラフト1位とはいえ、周りから見れば誰だよ?でしょう。
新人でも気おされるわけにはいかない。面接でたくさんのコントを持ち込み、応対した斎藤さんたちを驚かせました。持ち味は積極性。週に1回、河野さんの事務所を兼ねる東京・赤坂のマンションで行われた番組会議。腕利きの放送作家と張り合うため、どんどんネタを出さなければ。ここでもフルスイングでした。
(聞き手は西日本新聞・山上武雄)
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海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年07月17日時点のものです
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