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バンナムエンタ副社長の人生を変えた「影山ヒロノブ」との高校での出会い(NIKKEI STYLE) - Yahoo!ニュース

《連載》仕事人秘録 バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(2)

市場規模が膨らんだ「アニメソング(アニソン)」ビジネスの立役者の一人がバンダイナムコアーツの井上俊次副社長です。1970年代にロックバンド「レイジー」で一世を風靡しました。井上氏の「仕事人秘録」の第2回では、中学時代の軽音楽との出会いを振り返ります。

中学2年生で軽音楽に出会った。

「井上君、ピアノやってるやろ。キーボード弾いてくれ」。文化祭で演奏するからと、同級生から声をかけられたのが軽音楽との出会いでした。 その同級生に聴かせてもらったのが、英国のロックバンドであるディープ・パープル。オルガンって言うと普通はエレクトーン(電子オルガン)のようなきれいな音を連想しますが、ディープ・パープルのキーボーディストだったジョン・ロードはひずんだ音でワーッと弾く。世の中にはこういう音楽があるのかと、大きな衝撃を受けました。 これが人生で初めてのバンド活動です。文化祭だからステージは学校の体育館。バンド名はなくて、「次は2年何組の誰々が歌います」という世界です。ピアノの発表会以外で人前で演奏するのは初めてでした。 弾いたのは、ディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」だったでしょうか。文化祭が終わって、そのまま軽音楽の同好会に入りました。練習は家庭科室でした。家庭科の先生が興味を持ってくれて「使っていいよ」と許してくれました。 同じ時期に野球部はやめています。文化祭で演奏すると野球部の先生から「そんなことやるならやめろ」と叱られて。当時のロックはたばこくさくて、ちょっと不良といったイメージです。入部当初こそ期待の新人投手でしたが、身長がいっこうに伸びないから「いっそのこと下からアンダースローで投げろ」と指示されました。「ちょっと嫌だな。格好悪いな」と思って退部しました。そこからは音楽一本に集中です。

■軽音楽を始めた当時はドラム志望だった。

テレビの歌番組でザ・スパイダースだとかザ・タイガースだとか、グループサウンズをよく見ていました。ドラムが大好きでした。雑誌を太ももに巻き付けて、長い菜箸でたたいて練習していました。 軽音楽の同好会でも、キーボードとドラムの両方を担当していました。同好会のメンバーとは別々の高校に進学してもバンドを続けました。他にも2つ3つのバンドを掛け持ちしていて、そちらではドラムをたたいていました。

■1976年4月、大和川高校に入学した。

入学すると友達から「軽音楽部に入ろうよ」と誘われました。こちらは中学からバンド活動やっていますから、自信満々で乗り込んでいきました。 軽音楽部の部室に入ると、隅の方で同じ新入生の男の子がドラムをたたいて遊んでいました。それを見つけたぼくが歩み寄り「そこどけ。俺が弾いたる」と。立ち上がった男の子はカーリーヘアに色白の細身なおとなしい雰囲気でした。 名前は景山浩宣君。 後にバンド「レイジー」で苦楽を共にし、人気アニメ「ドラゴンボールZ」などのテーマソングを歌って人気アニソン歌手に躍進する「影山ヒロノブ」でした。 [日経産業新聞 2018年7月20日付]

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