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梨田昌孝の人生を彩るドラマの数々。伝説の10.19、代打北川、遺跡発見。(小西斗真) - Number Web - ナンバー

 世界中で猛威をふるっている新型コロナウイルスは、屈強な肉体をもつアスリートの体内にも侵入し、感染させる。プロ野球では現役選手だけでなく、OBにも感染者が出ている。

 梨田昌孝氏もその1人。一時は集中治療室に入り、人工呼吸器を使用していたが、現在は徐々に回復し、一般病棟に移っている。無症状の感染者も多くいる一方で、重症化すれば数日で命を落とすこともある。このウイルスの隠れた恐怖は、伝えても伝えても、なお伝わりきらないところにもある。

 1953年生まれの梨田氏は66歳。プロ入り前、選手、監督の3つの期間に分けて、野球人生を振り返りたい。

蔦監督に甲子園初勝利を献上。

 島根県出身の梨田は、地元の浜田高に進学し、強肩強打の捕手としてならした。3年生となった1971年には春夏連続で甲子園に出場。いずれも四国勢と対戦し、初戦で敗れている。

 夏の相手は池田高(南四国)。浜田は1回に幸先良く2点を先制したが、池田は小刻みに得点し、序盤に追いつく。6回を終わって3対3。7回に初めて池田がリードを奪い、8回に追加点。追いすがった浜田だが4対5で敗れた。池田の8安打に対して、浜田は12安打。前評判通り、打力では勝っていたが、不安のあった投手陣が11四死球を与えたのが敗因となった。

 浜田の4番を務めた梨田は4打数2安打、1打点。中学時代には三種競技(100メートル走、砲丸投げ、走り高跳び)で島根県記録を打ち立てた身体能力だけでなく、全球団のスカウトがマークしていた強肩も披露した。

 相手の池田はこの大会が甲子園初出場。後に「やまびこ打線」を作り上げる蔦文也監督にとっても、この試合が甲子園初采配初勝利であった。

【次ページ】 「最後の最後で打撃の極意をつかんだ」

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April 23, 2020 at 09:43AM
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