現役最高齢の漫才師だった内海桂子さんが8月22日に亡くなりました。97歳でした。大正11年に生まれ、1歳で関東大震災を経験し、7歳で神田のそば屋に奉公に出されるなど苦労を重ねました。昭和13年に漫才師として初舞台を踏み、昭和、平成、令和と笑いの第一線で活躍し、芸歴は81年を数えました。

90年に24歳年下で、現在のマネジャー成田常也さんと結婚し、出雲大社で結婚式も行いましたが、内海さんは初婚でした。20歳の時、漫才の相方との間に長男が生まれましたが、事実婚で、籍は入っていませんでした。5年後に別の相方との間に長女が誕生し、婚姻届を出したものの、提出先が相手の本籍地の広島・呉市で、戦後のどさくさで受理されてなかったという。その後、相手がヒロポン中毒となり、別れたそうです。そのため未婚で、シングルマザーとして2人の子供を育て上げましたが、長女と夫の成田さんは同い年でした。

内海さんは、14歳年下の弟子の内海好江さんとコンビ「桂子・好江」を組んで人気でしたが、97年に好江さんが亡くなると、ピン芸人として1人で活動しました。しかし、7年前、短期間だけコンビを組んだことがあります。相方はベテランのあした順子さんで、順子さんも「ひろし・順子」で人気コンビでしたが、ひろしさんが腰痛で入院。1人で活動することになったため、当時90歳の内海さんと80歳の順子さんの合計170歳のコンビが誕生しました。

コンビ名は「AKB48」で、あしたのA、桂子のK、ババアのB、そしてシワだらけの48、から命名したそうです。内海さんは「順子を何とかしてやらなきゃ」という、笑いの同志を気遣ってのコンビ誕生でしたが、通常の漫才公演やテレビにも出演するなど話題となりました。その後、ひろしさんが亡くなり、順子さんも引退しました。

内海さんは10年からツイッターを始め、約50万人のフォロワーがいました。「100歳で現役」が目標でしたが、体は満身創痍(そうい)でした。もともと、小さいころから右目がほとんど見えず、84歳の時に乳がんで右乳房を切除し、階段から落ちて骨折した右手はセラミックでつないでいました。冗談で「右の『半身創痍』よ」と話していました。

9月12日は98歳の誕生日で、当日に新刊本「人生は七転び八起き」が発売予定でした。内海さんは「人間、目をつぶるまでしっかり生きなくちゃいけない。自分の人生、自分で片をつける」が口癖でした。その言葉通り、入院する今年1月まで漫才の舞台に立ち、コロナ禍で3月から面会が制限され、臨終に誰も間に合わない中で、静かに1人で天国に旅立ちました。戒名の「桂雲院粋譽良光大姉」にふさわしく、粋に生きた人生でした。 【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)