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“ぬるい”と思われても「幸福な数学者」の人生を描きたかった:『はじめアルゴリズム』著者・三原和人インタヴュー - WIRED.jp

※本記事にはネタバレにつながる描写が含まれています。十分にご注意ください

2012年、京都大学の望月新一教授によって数学の難問「ABC予想」が証明されたというニュースは、世界中を駆け巡った。この難解な証明は審査に8年の時間を要し、2020年に国際学術誌『PRISM』に掲載された。多くの数学者が人生をかけて挑む難問。常人には理解できない“数学に取り憑かれた”数学者の人生は、多くの物語を生み出している。

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『週刊モーニング』で2016年より連載をスタートし、2019年末に完結した『はじめアルゴリズム』には、さまざまな数学者たちの人生が描かれている。物語は元天才数学者の老人・内田豊が、故郷の島で小学5年生の天才少年ハジメと出会うところから始まる。才能のある少年を見つけた数学者が、少年に自らの夢を託しながら、やがて自分自身のなかにも数学への熱い想いが蘇っていく成長譚だ。

ハジメはまるで天才数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンのようであり、内田はラマヌジャンの研究に目を留めたゴッドフレイ・ハロルド・ハーディのようでもある。

登場する数式などは数学者・三澤大太郎(横浜市立大学特任助教)が監修を務める。魅力的なキャラクターたちは、それぞれが感情豊かに、丁寧に紡がれる。その『はじめアルゴリズム』の作者である三原和人に、数学と音楽、宗教について訊いた。

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『はじめアルゴリズム』の作者である三原和人に、数学と音楽、宗教について訊いた。

初めて岡潔を読んだときのように

──まずは、なぜ「数学」を描こうと思ったのか、きっかけを教えてください。

はじめに編集さんから「何か描きましょう」と声をかけていただいて、いくつか案を出しました。そのなかのテーマのひとつが「数学」だったんです。

小林秀雄が好きで書籍を読んでいたのですが、そこに数学者の岡潔が出てきていたこともあり、岡潔のことは『はじめアルゴリズム』を描く前から知っていました。数学はそこまで詳しくないのですが、書籍を通して「面白そうだな」と思っていたところがありました。

──岡潔のどんな点を面白いと感じましたか。

小林秀雄と岡潔のふたりの対談集『人間の建設』など、いろいろ読みましたが、ぼくはまだ岡潔を完全には理解できていないと思っています。それでも、岡潔の数学につながる「人生」や「社会」、「教育論」についての話は面白いし、数学で大事なことは「情緒」だということには驚きました。

──数学というと論理的なイメージがありますが、「情緒」が大事だということですよね。

そうですね。『はじめアルゴリズム』も、その「情緒」の部分を描ければと思っていました。ぼくはどちらかと言うと数学が苦手でしたが、数学に魅力を感じて取り憑かれたかのようになっている人もいます。それはおそらくぼくが数学の魅力をわかっていないだけで、“その先”に彼らを夢中にさせる何かがある。そこに興味が湧きました。そんなときに「情緒」という言葉がキャラクターを表現するためのとっかかりになると思ったのです。

岡潔の情緒を捉えきれたのか、それを表現できたのかはストーリーが完結したいまでもわかりません。でも、ぼくが岡潔の書籍を読んだときに感じたときめきを、『はじめアルゴリズム』を読んでくれた人も感じてくれたらいいなと思います。

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数学者のイメージを覆す幸福感

──1巻冒頭は老数学者・内田の「数学者は若者の学問と言われている」というモノローグからスタートします。実際に心理学者のアルフレッド・アドラーも「数学者の数学的寿命は短い。25歳、30歳を過ぎてからの仕事が前より良くなることはめったにない」という言葉を残していますが、この言葉が内田という年老いた数学者のキャラクラーを際立たせますね。

連載をスタートさせる最初の打ち合わせのころから、「天才数学少年と夢破れた老いた数学者の出会い」という設定は頭にありました。実際には、「数学者はある程度、歳をとるとダメだ」という話と、それに対する反論もたくさんあるのですが。

──数学に年齢は関係ないということでしょうか。確かにストーリーの最後では、内田も奮闘して「リーマン予想」にも取り組んでいましたね。

最初は「老いるとダメ」な数学者の内田が、数学という夢をハジメに託していくという展開だったのですが、数学者の書籍を読んでいくうちに、内田も一緒に数学を頑張るほうへとストーリーが広がっていきました。

──映画や小説などで物語にしやすいからだと思いますが、数学者は貧乏で気難しいイメージで描かれがちです。

そうですね。数学者というと、闇に沈んでしまい、報われないようなイメージがあります。ですが、ハジメをそうしたくはなかった。そうならないために何が必要か考えると、コミュニケーションが充実していることなんだろうという考えに行き着きました。

──素数にのめり込みすぎて引きこもる大貫のようなキャラクターこそ、これまでの数学者に対するイメージだったかもしれませんね。情緒不安定で、途中、大貫は死んでしまうのではないかとハラハラしていました。

実は、そういう方向も考えていました。でもぼくが嫌がって、そうはしなかったんです。大きな不幸を物語にもち込んだとして、その話の展開を無事につくっていける自信がなかったこともあります。本宮ひろ志先生ならきっと描いているはずですが(笑)。

この作品を描いていて、途中から強く、はっきりと思っていたのは「みんなを幸せにする」ということでした。“ぬるい”と言われようが「この人たちはみんな幸せです、そういうマンガです」という作品にしたかった。

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音楽と宗教と数学

──数学者・内田の妻ユリは音楽家でした。芸術と数学の結びつきはどんなところにあると思いますか。

音楽も数学も「表現」する点が共通していると思います。

──たとえば、内田とユリの出会いの場面で、「宇宙のズレのなかに私たちがいる」「揺れ動くバランスの美しさが同じ揺れを持った私たちに響く。そこに感動が生まれる」(4巻)という言葉が出てきます。このズレや揺れについて詳しく聞かせてください。

このエピソードは、数学と音楽についての対談書やぼくの好きな宗教や哲学の知識を混ぜてつくっていきました。ぼく自身もバンドをやっていたので感覚を総動員させた感じです(笑)。「音楽のズレ」が好きなんです。きっちりリズムを刻んでいって、ちょっとズラす感じとか。そのあたりにグッとくる。ズレとか、揺れ動く感じをあらゆるところから引き出してきてつないでいます。素数とくっつけたり。

──リズムを刻む音楽は、数学に近いでしょうか。

そう思います。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)がコンピューターで音楽をつくっていたときに、均等にリズムを割り、それをズラしていくとどうなるのか実験していました。そこから「普通の拍子と沖縄民謡の拍子は数字で表すとこうなるんだ」という発見をしていて、面白かったんですよね。それで音楽の拍子は数学と関係があると思っていました。

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──『はじめアルゴリズム』では、音楽のほかに宗教も登場します。ハジメの友人・カンタのお父さんはお坊さんでした。

ぼくはお坊さんを登場させたかったんです。ちなみに、お坊さんを登場させることになって、いざ、どんな人間にしようか考えていたときに、地元のコンビニにカンタのお父さんにそっくりなお坊さんがいたんです。

──けっこうイカついですよね(笑)。

角刈りでサングラスをかけて、ルイ・ヴィトンのセカンドバッグをもっていて。「これだ!」と思いました(笑)。

──見た目は怖いですが(笑)、いつもふらっと現れて、悩むハジメにヒントを与えてくれる存在ですよね。

そうですね。ハジメの数学的な部分の悩みは、内田をはじめ、多くの人が聞いてくれるから充分だと思うのですが、ハジメの思考は「数学自体がどういうものか」という方向に向かっている。そうなると、そこから「人間とは何か」という悩みにぶつかります。そこに言葉をかけられる人間がいてほしかったんです。

──人間とは何かを答えるのは、確かに難しいです。

数学も宗教も、考えを突き進めて際(きわ)まで行くと、つながりそうな感じはある。岡潔も数学者でありながら、神事をしていたらしいですから。

──アプローチは違うけれど、突き詰めていくと同じところにたどり着く。音楽も宗教も数学も向かって行く先は同じということでしょうか。

そうかもしれませんね。「人間はなぜこの世界にいるんだろう」「この世界ってなんだ」という問いが、あらゆることのスタートになる。「これって、なんだ!?」というものこそ、『はじめアルゴリズム』で描こうとしていたものです。

「これ」というのは、たとえばNHKで「大宇宙」のような番組を1時間くらい、無茶苦茶集中して観たとします。で、ふと現実に戻ると、そこにはピザのチラシがある。大宇宙のあとにピザのチラシを見ると「なんだこれ」となる感じですね。

──宇宙からピザ。振れ幅がすごいです。

「人間とはなんだろう」「いま話しているこれって、なんだろう」。この感じが数学や宗教、音楽にあるのかなと思います。

──数学はミスが許されない世界のように思えるのですが、ブレもあるのでしょうか。

数学も“先”までいくとブレがあるのだと思うんですよね。想像でしかないですけれど。芸術や音楽においては、ミスやブレはすごく重要だと思います。ブレこそが気持ちのいいポイントだったりします。

──三原さんも作品をつくるうえで、ブレは意識しますか。

理想とするところにはほど遠いですが、意識しますね。『はじめアルゴリズム』の絵はシンプルですが、ぼくのなかでは「気持ちいい絵」というものがあって、そこをもちろん目指しています。

──三原さんにとっての「気持ちいい絵」とは、どのようなものですか。

自分でもはっきりとはわからないのですが、たとえば、盆栽のかたちが気持ちいい、かっこいいとか、そういうものに近いのだと思います。いいかたちを見ると快感を感じるんです。実は、ハジメの顔をきっちり左右対象で描くと、そんなに面白くないので、ちょっとズラして描いているんです。強弱がよかったりして、ぼくはそこに快感を感じます。この快感がないと、マンガをやっていられない(笑)。

──ちなみに、どんな音楽をやっていたんですか。

中学生のノリで、「バンドやろうぜ!」みたいな感じですよ(笑)。

──作中でも、ライヴァルのテジマがバンドでクイーンを演奏していましたね。

ぼくも、クイーンをやっていました。

──では、バンドのシーンは実体験ですか。

そうですね(笑)。音にしても、絵にしても、気持ちがいいからやっている、というところが大きいです。数学にもそういった気持ちよさがあるんだろうと思います。でないと、一日中、家にこもってやらないですよね。「自分の身体を捨ててもいい」というものが、そこにあるということなのかなと思います。

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人工知能と数学

──物語のなかで、人工知能(AI)の話が出てきます。

人工知能の話は大変で……。監修の三澤さんの研究内容を、そのまま描かせていただきました。

──人工知能を描いてみて、どう思われましたか?

人工知能が人間を超えて、やがて人間は支配される、というお話はよくありますよね。ぼくは、それは「しょうもないな」と思うので、そういう話は描きませんでした。

──数学を役立てて人間が人工知能をどう扱うか、というお話になっていましたね。

人工知能がどうなるのかは、人間次第だと思うんです。人間がちゃんとしないと。まあ、ちゃんとしていなかったら怖いことになるのかもしれないですけど。

ぼくはつい「人間はこうすべし、こうあるべき」ということを描きたくなってしまうのですが、自分は浅はかだし、人間自体が浅はかだと思うんです。人間はあらゆる面でまだ未熟なのだと思います。地球上の生物の頂点みたいな顔をしているけれど、全然まだ“途中”なのかなと。

──精神的な成熟度が“途中”ということでしょうか。

あとは、身体的機能もそうかもしれないですね。仮に、新型コロナウイルスがもっと致死率の高いヤバいウイルスだったら、大量に人が死んで、そこで生き残る人がいる。そして生き残った人たちの次の世代がまた増えていって……ということもあるかもしれない。人間が頭で考えてどうこうしなくても、なるようになっていくのかなと思います。

だからといって、何もしなくていいというのは寂しい。ハジメの結論は「寂しいから、やる」ということでした。誰かに任せながらも、いろいろ遊ぶ。仏教的な思想ですが「お任せします」という。

どうあがいてもできることはない。そういうものはお任せします。そうした上で、遊んでいるように楽しく表現したり、突き詰めていったり。それは音楽にしろ、数学にしろ、仕事をするにせよ、自分の趣味にせよ、同じです。人間は、遊ぶように生きていくのだと思います。

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