新型コロナの影響でお家に籠っている方が多い週末かと思います。外にも出られないし、暇……。そんな日こそ読書はいかがでしょうか。
不安な日々が続くと、なんだか寝付けないってこと、ありませんか?
三宅香帆さんの『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』は、人生のお悩みに合わせて「よく効く本」を処方してくれます。本書から、こんなときにはこの名著、というお話を少し、ご紹介いたします。
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眠れないときに読む本:小川洋子『海』
効くひと言:「なぜだろう。僕が行ったこともない遠い場所に、僕とは似ても似つかない姿をした動物が生きていて、彼らもまた僕と同じように食べたり、家族を作ったり、眠ったり、死んだりするのかと思うと、それだけで安心なんです」
小説を読むとき、頭の中にイメージが浮かんでいる。
文章から想起される映像。それははっきりした画像であるときもあるけれど、たいていの場合、ぼんやりとした「イメージ」としか言いようがない。登場人物の顔や服装も、仕草も、風景も。あとからはっきりと思い出そうとすると、実は困難な――たとえば夢の記憶のような、ぼんやりとした映像であることが多い。
言葉を読んで、イメージを浮かべる。小説を読むって、よくよく考えてみると、なんだかすごく複雑な行為なのだな、とふと思う。
それが「音」であるときは、余計。
たとえば夢を見ているとき、無音であるとは思わない。なんとなく音も声もそこにはある、ように思う。だけど起きてからその音をはっきりと思い出すことは少ない。
頭の中に音は鳴る。けれど思い出せない。聴いたのはたしかなのに。
小説も同じように、読んでいるとき、そのイメージが無音である気はしない。小説の登場人物はきちんと声を発し、風の音を聴く。
けれど私たちが小説を読み終え、その声や風の音の記憶を残しているかというと、残していないことのほうが多い。
はじめて小川洋子の『海』を読んだとき。こんなにも「音」を聴くことのできる小説をはじめて読んだ、と思った。それはたとえば稀に見る「音のはっきり聴こえてくる夢」を見た感覚と、よく似ていた。
眠れないときには小川洋子を読むといい! というのが私の持論である。いやー眠れない時ってほんと地獄のように世界が厳しいよね……。
今、自分ははっきりと時間を無駄にしているのだ!!! と思わずびっくりマークをつけてしまうほどに苦~い自覚。しかしそんなことを考えるほど眠りは遠のく。なんで「眠れない」と自覚した夜はこんなにも眠れないのか。諦めて起きて水を飲んじゃうけど、結局やはり眠れない。そして今日も電気を消した部屋で考え事を進める(けど眠れないときに考えて、いいアイデアが浮かぶことなぞない)。うう、苦しい。
だけど、小川洋子は、そんな夜を助けてくれる。
ちなみに誤解しないでほしいのだけど、小川洋子は「読んでると眠たくなる作家」だと言ってるわけではない。それはちがくて、私が言いたいのは、小川洋子は、「読んでると眠りに落ちる精神状態に近いところまで連れて行ってくれる作家」なのだ。
『海』はとくに美しい夢を見ているような作品だ。『海』の小説そのものは、とても短い。ある男性が婚約者の家へやってきて、彼女の弟の、秘密の楽器を見せてもらう……これだけの短編小説。
けれど読み終わったあと、私はひとつの夢を見ていたような心地になる。
「動物が好きだったとは、知らなかった」
「ううん」
彼は首を横に振った。
「好きだからじゃありません。動物を見たあと布団に入ると、ぐっすり眠れるから」
「どうして?」
「さあ、なぜだろう。僕が行ったこともない遠い場所に、僕とは似ても似つかない姿をした動物が生きていて、彼らもまた僕と同じように食べたり、家族を作ったり、眠ったり、死んだりするのかと思うと、それだけで安心なんです。変でしょうか」
夢を見るとは、どのような状態なのだろう。きっと科学的な解釈や精神分析学からの見地、きっといろんな言い方があるけれど。
私は思う。夢とは、私だけの現実のことだ。
たまに本当に現実よりもずっとあたたかくてしあわせなところにいたような感触だけが残る夢があって、目覚めた部屋の肌寒さに一瞬「へ?」と驚いてしまうことがある。さっきまで、あんなにあたたかな場所にいたのに。
夢は、眠りに落ちた私にだけ現れる現実。
小川洋子の小説は、夢と同じように、私だけの現実を届けてくれる。
他の誰も大人になってからとんと思い出すことのない、幼い頃に知ったてろっとしたカーテンの感覚。海辺に行って風がしょっぱいなと思ったこと、靴紐がすこしずつ汚れて広がってゆく瞬間。こたつの中であたたかな膝の上でいつのまにか眠ってしまったとき。そういう小さな瞬間のことを、私だけが知っていたはずで、そして私ももう思い出すことがないと思っていたのに、小川洋子が小説に書いてくるから、驚くのだ。これは私の幼少期の、あるいは私じゃない誰かの夢の中だろうか、と。
蛍光灯の頼りなげな光を受けた彼の横顔は、手をのばせばすぐ触れられるところにあった。息をひそめ、瞬きさえせず、じっと画面に見入っていた。
『……死に真似名人の代表選手と言えば、アメリカオポッサムでしょう。彼らは攻撃されるとまず反撃します。威嚇の鳴き声を出し、鋭く尖った歯で噛み付いてきます。死に真似をするのは、それでも相手がひるまない場合です。それは突然起こります。ドラマティックでさえあります』
僕は生まれて初めてアメリカオポッサムというものを見た。鼠と狸を掛け合わせたような、灰色の毛が疎らに生えた、あまり見掛けのぱっとしない動物だった。しかしナレーターの言う通り、死に真似に入ったオポッサムの演技は見事だった。四本の足は好き勝手な向きにだらんと投げ出され、爪のある指は空しく宙をつかみ、口からはみ出した舌と半開きになった目には、なぜこんなことになったのか誰か教えてほしいと嘆くような、切なさが漂っていた。
夢を見るとき、私たちは疑問を覚えることはない。自分以外の誰かが自分であっても、驚かない。「男である自分の夢」なんてよく見る。現実の私が女であっても。
たまに小説に対して共感できる、できない、という感想を述べる。だけど小川洋子の小説においてはその言葉をあまり発する気にならない。なぜならそれは夢だからだ。夢の中で起こっていることに疑問なんか持たない。それはすべて正しい。
口笛とも違う、歌声とも違う、微かだけれど揺るぎない響きが聞こえてきた。それは海の底から長い時間を経て、ようやくたどり着いたという安堵と、更に遠くへ旅立ってゆこうとする果てのなさの、両方を合わせ持っていた。
僕は小さな弟が海辺に立っている姿を思い浮かべてみた。両足はたくましく砂を踏みしめ、掌は優しく浮袋を包んでいる。まるで風は目印を見つけたかのように、彼に吸い寄せられる。海を渡るすべての風が、小さな弟の掌の温もりを求めている。
彼の唇は本当に今そこに鳴鱗琴があるのと変わりなく、暗闇を揺らし続けた。それは僕の愛する泉さんの唇と、そっくり同じ形をしていた。
弟の持つ、鳴鱗琴(めいりんきん)という楽器の音がどのようなものなのか、私は知らない。だけどこの、音が鳴る場面に、私は美しい夢を見る。私だけの、夢を見ている。
眠れない夜も、小説は私たちに夢を見せてくれる。だからこそ、私たちは眠れない夜にそっと小説のページを開く。
眠るとか眠れないとかそういうところを忘れた世界に連れて行ってくれて、心が凪いだ静かな状態に届けてくれる。小川洋子小説を読むたびに、その稀有さに驚いてしまう。
私はたしかに鳴鱗琴の音を聴いていた。『海』という夢のなかで。
眠れないときも夢を見ることができるから、私はやっぱり小川洋子の作品を読み続ける。そして翌朝すっきりと早起きをして、昨日読んだ小説のことを忘れ、現実の世界に戻るのだ。
処方:眠りたいけど色々考えちゃって眠れないときは小川洋子の短編小説を読むと、なんとなく落ち着いてすんなりと眠れるのでおすすめです。不眠症の方もぜひお試しあれ。
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March 29, 2020 at 04:06AM
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