故意でなかったとはいえ、恋人の命を奪ってしまった女性は、懲役5年を宣告された。罪悪感や自己嫌悪に苛まれ、さらに相次ぐきょうだいたちの自殺という悲劇に見舞われながらも、再び社会復帰を目指して努力を続けた彼女が、自身の経験を綴った。 私の名前はロンダ・デイビス。オーストラリアの少数民族、カミラロイ族出身の38歳で、4人の子供の母親だ。 2013年9月、私は人生で初めて、この国の刑事司法制度にかかわることとなった。 当時の恋人と一緒に、人里離れた場所で開催される野外音楽イベント「ドゥーフ」に行った時のことだ。そこで過ごした楽しい48時間が、考えうる限りで最悪の悪夢に変わってしまったのだ。
家まであと少しのところで睡魔に襲われ…
イベントで私は、得体の知れないドラッグに手を出した。しかし休み明けに仕事があり、自分が車を運転して帰るとわかっていたので、帰宅当日はアルコールもドラッグも控えた。普通に考えて、運転に支障はないと思っていた。 午前2時30分頃、マットと私は荷物をまとめて出発することにした。未舗装の道を5kmも走らないうちに、マットは寝る体勢になると私にウィンクし、いたずらっぽく微笑みながら、「家まで運転よろしく」と言って目を閉じた。これが彼から私への最後の言葉となった。 隣町まで10kmの標識を見たのを覚えている。「起きて。あと10kmで町よ。マクドナルドでコーヒーを買おうよ」とマットを起こした。しかし、そのわずか3km先で、私はハンドルを握ったまま眠ってしまった。車は電柱に激突し、数回横転した。マットは不幸にも帰らぬ人となり、その日を境に私の人生は一変した。 危険運転致死罪、違法薬物の影響下の運転致死罪、違法薬物所持罪、未登録および無保険で車両を運転した罪で、私は起訴された。 しかし、日々襲ってくる自己嫌悪と罪悪感が、もっとも耐え難かった。
親子の刑務所暮らしに、さらなる悲劇が
2015年4月13日、私は最低でも2年6ヵ月の間は仮釈放が認められないという条件で、懲役5年を言い渡された。この時、4人目の子供は生後5ヵ月だった。刑務所に収容されるとわかっていた私は、エミュー・プレーンズ更生施設の母子プログラムのことを思い出し、幸運にも入所を認められた。 これからの2年半は容易ではないと覚悟していたが、前向きな何かを見出す必要があった。私は薬物関連の問題で兄弟と姉妹を1人ずつ自殺で失くしていたことから、アルコールや薬物依存症の患者を支援し、彼らとともに働くための資格に向けて勉強を始めた。 毎晩、息子を寝かしつけてから勉強していたが、各単元を懸命に学ぶのは楽しかった。しかし2015年11月25日、電話で連絡があり、また1人兄弟を自殺で失ったことを知った。長兄のデュアンが、自らの命を絶ったのだ。 デュアンは私の兄であるだけでなく、頼りになる親友であり、色々な意味で父親のような存在だったため、私はひどくショックを受けた。距離が遠いという理由から、葬儀への出席は施設に認めてもらえなかった。 兄との最後のお別れができなかった私は、いまだに気持ちの整理がつかないままだ。しかし、これでくじけるわけにはいかず、出所までの資格取得を目標にし続けた。
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December 13, 2020 at 08:00AM
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「私の居眠り運転で恋人は死んだ」─4人の子を育てる母親の人生が一変した日(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
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