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朝鮮戦争勃発70年…人生を翻弄された元兵士ら 遠い故郷と統一への思いは - 東京新聞

 朝鮮戦争が1950年6月に勃発してから今年で70年。同じ民族を裂いた南北分断は今も続き、統一は夢のまた夢だ。北朝鮮で捕虜となり、半世紀を経てようやく脱北した元韓国軍兵士、故郷の北朝鮮に戻れなくなった「失郷民シルヒャンミン」と呼ばれる男性。戦争に人生を翻弄ほんろうされた人々は節目の年を迎え、何を思うのか。

◆拘束された傷は消えず…北朝鮮に約50年抑留された元韓国軍兵士

6月、ソウルで、北朝鮮での捕虜時代に針金で腕首を拘束された様子を振り返る金成泰さん=相坂穣撮影

6月、ソウルで、北朝鮮での捕虜時代に針金で腕首を拘束された様子を振り返る金成泰さん=相坂穣撮影

 「何回も逃げたが、連れ戻された。これは、針金で拘束された傷。70年たっても消えない」。ソウル駅の近く、朝鮮戦争で北朝鮮の捕虜となった元韓国軍人を支援する市民団体の事務所で、金成キムソンさん(87)は手首の傷痕を見つめた。

 1953年の休戦後、国連軍は、約1万2000人の韓国軍兵士が北朝鮮の捕虜になったと発表した。「国軍捕虜」と呼ばれるこうした人々は、南北の捕虜交換で54年までに、8000人が帰還したが、残りは思想教育を受けて転向し、北朝鮮にとどまったとされた。だが90年代以降、元兵士の脱北が相次ぎ「転向でなく、抑留された」と訴える。金成泰さんもその1人だ。

 32年にキョン畿道ギド(現韓国北部)で生まれた。小学校高学年で日本の植民地支配は終わったが、小作農だった実家は貧しく、16歳で年齢を偽り、入隊した。

 50年6月25日午前4時半、北緯38度線に近い下士官学校の宿舎で就寝中、雷鳴のような衝撃で目が覚めた。北朝鮮の奇襲攻撃で朝鮮戦争が勃発した。

 北朝鮮は戦車部隊を前面に猛烈な勢いで南侵した。韓国の承晩スンマン政権は、北朝鮮の戦車の進路を断つため、ソウルの漢江の橋を爆破。孤立した金さんら前線の兵士は小銃で反撃を試みたが、次々に倒れていった。30日、軍服を脱いで近隣の農民に紛れようとしたが、北朝鮮兵士に捕まった。

 貨物列車に乗せられて、2日後、北朝鮮北部の収容施設に連行された。1500人の捕虜がいたが、食料は600人分しか配給されず、栄養失調で死者が続出。小部屋に40人が詰め込まれたが、着替えも入浴の機会もなく、異臭が漂った。

 国連軍が同年9月のインチョン上陸作戦を機にソウルを奪還し、北朝鮮が後退すると、捕虜は中国東北部などの収容所を転々とさせられ、極寒の冬を迎えた。気性の荒い野生の蒙古馬を調教して軍用馬にする危険な労働をさせられた。飢えをしのぐために、馬のえさや死んだ馬の足まで食べた。

 国連軍と北朝鮮、北朝鮮への援軍を送った中国が53年7月27日、休戦協定を締結。だが、金成泰さんの帰国はかなわなかった。直前に、収容所からの逃亡を図って捕まり、「民族反逆罪」で懲役13年の判決を受けたばかりだった。刑務所では、造船などの肉体労働を強いられ、再び、受刑者仲間らの死を目撃した。刑期を満了した時には、34歳になっていた。

 出所後、北朝鮮北部の炭鉱で働き、ピョンヤンから追放されてきた3歳下の女性と結婚し、2人の息子をもうけた。しかし、当局の監視は続いた。妻は肺がんのため36歳の若さで亡くなった。食料難が深刻化した90年代には、次男が強盗に鉄器具で殴打され、殺害された。

 2000年、食料難の中、唯一の肉親の長男と中朝国境の満江マンガンを渡って脱北し、01年6月、51年ぶりに韓国の土を踏んだ。

 それから20年、「南北の平和、統一」を願い続けてきたが、新聞で北朝鮮関連の記事を読むと頭が痛む。18年に文在寅ムンジェイン大統領とキムジョンウン朝鮮労働党委員長が南北首脳会談を開き、融和ムードが広がったのもつかの間。米朝の非核化交渉が停滞し、北朝鮮は再び強硬姿勢を見せる。「北は核を簡単には放棄しない。国の強みを失うと考えるから」

 自身と同じように脱北した元捕虜が80人ほどいたが、すでに60人近くが他界した。「終戦まではまだ時間がかかるだろう。韓国が困難に陥ったら、どうか助けてほしい」。6月、韓国中部のジョンにある慰霊施設を訪ね、祈りをささげた。 (ソウル・相坂穣)

◆今も忘れ得ぬ故郷・北朝鮮に戻れない「失郷民」1世

「二度と故郷には行けないだろう」と嘆く金均宰さん=ソウルで(中村彰宏撮影)

「二度と故郷には行けないだろう」と嘆く金均宰さん=ソウルで(中村彰宏撮影)

 「あとどれほど生きられるか。2度と故郷に行くことはできないだろう」

 キムギュンジェさん(91)は失郷民の1人。18歳まで中国と接する北東部・ハムギョンプクフェリョン郡の農村で暮らした。自宅を取り囲む田畑や、兄弟と駆け回った裏山。家の間取りも正確に覚えている。「今はどうなっているのか。70年間、故郷を忘れたことはない」

 開戦当時は、韓国に近いカンウォンで鉱山の技術者として働いていた。徴兵を恐れて鉱山の洞窟に5カ月間隠れていたが、同様に逃げ込んでくる人が増え、「このままでは見つかる」と南に逃げることを決意。偽造した韓国の身分証を携え、木造船で韓国東岸のトン市へ渡った。

 避難先では食べ物に困り、ソウルを目指した途中で武器を手にした職場の同僚に偶然、出くわした。聞けば韓国軍に入隊したという。金さんも軍に加わり、敵を捜索する部隊に配属された。直後に銃撃に遭い、太ももを負傷。退院後は韓国軍の療養所で勤務した後に部隊に復帰し、ソウル近郊で休戦の知らせを聞いた。「しばらくすれば故郷にも帰れると思った」

 だが、分断は続いた。ソウルで会社員として働き、戦時中に出会った女性と結婚して1男1女をもうけた。故郷の家族とは1度だけ連絡が取れた。1992年、出張先の中国で同郷の人に出会い、手紙を託すとしばらくして兄から返信が届いた。「死なずにいて良かった。話したいことはたくさんあるが、簡単に消息を伝える。会える日を待ちながら」。そうつづられた中に、「母は昨年5月5日に亡くなった」とあった。金さんは文面を見つめ、涙を流した。

 2000年の南北首脳会談を機に始まった離散家族の再会事業に申請する方法もあったが、「あれは政治ショーだ」と拒んだ。その後も南北関係は融和と緊張を繰り返し、先は見えない。「統一は難しくても、せめて自由に行き来できるようになれば。同じ民族なのに、なぜ故郷に行くこともできないのか」。金さんは深いため息をついた。

 子孫と合わせると数百万人いるといわれる失郷民だが、67年に及ぶ分断で、金さんのように実際に北朝鮮にいた「1世」は年々減っている。世代は韓国で生まれ育った2世から3世、4世へと移り、北朝鮮に対する「故郷」という意識も薄れている。

 教師だった父が徴兵を避けて韓国に避難してきたという2世のチョンウクさん(60)は、「父には実際に住んだ記憶があるが、私は父の話でしか知らない。北朝鮮に行ってみたいとは思うが、懐かしさではなく、どんなところなのか気になる」と話す。

 3世のヒョングンさん(36)は、祖父が休戦時に捕虜収容所にいたこと以外は、韓国に来た経緯や詳しいことは知らないという。玄さん自身は南北交流団体で活動をしているが、同世代は少ない。「周りでは統一に対しても反対の意見が多く、若い世代の7~8割は北朝鮮に関心すら持っていない。私は特異なケースですよ」 (ソウル・中村彰宏)

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