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「洗濯係」だったサッカー元日本代表・岡野の人生を変えた事件(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

ワールドカップ(W杯)は6大会連続出場、アジアで勝つことは当たり前になったサッカー日本代表。だが、1993年の「ドーハの悲劇」に代表されるように、あと一歩でW杯切符がスルリと落ちる涙ぐましい時代もあった。

コロナで悪戦苦闘…元サッカー日本代表の”野人”岡野GMの苦悩

その「負」の歴史が変わったのが1997年11月16日、「ジョホールバルの歓喜」と称されるイラン代表戦。決勝Vゴールを決めたのが当時、浦和レッズで活躍していた岡野雅行だった。現在はJ3ガイナーレ鳥取の代表取締役GMをつとめる「野人」はかつて、サッカー部が存在しない高校に部を創設するところからはじめたという。たたき上げからスターダムにのしあがった岡野の人生を振り返る。

◆高校にはサッカー部がなかった

その瞬間、長髪をなびかせ、快足を飛ばした男は、絶叫しながら仲間の歓喜の渦に消えた。4年に1度、サッカーのW杯が近づいてくると一度は目にする映像だ。W杯初出場に導いた『野人』といえばその顔を思い出すだろう。当時、Jリーグが開幕してまだ4年目。当時のサッカーバブルを最高潮にのしあげた岡野自身の人生は、転ぶ方向を一歩変われば全く別の人生が待つ、綱渡りのような人生だった。

「人生って本当、わからないですよね。僕は入学時にサッカー部がなかった高校に通い、大学でも最初は選手ではなく、洗濯係でした。そこから日本代表まで来ているんです。高校(現立正大淞南高)に入ったら、自分で学校の理事長に直談判してサッカー部を作りました。部員2人からスタートして島根県でベスト4までいったんですよ」

卒業後に進学した日大のサッカー部は当時2部だったが、特待生や推薦でなければ入部は許されなかった。

「『テスト生募集』という張り紙がありました。受けに入ったら60人くらいかなぁ、希望者がいて……。自分は島根の無名校だから絶対受からないなぁ、こりゃダメだと思っていましたね」

しかしゲーム形式のテストで岡野は4ゴールを奪った。岡野が続ける。

「合格者2人のうち、ひとりが僕でした。でもその時にサッカー部の先輩から『洗濯係かマネジャーのどっちがいい?』と聞かれて、マネジャーならきっとサッカーはできなくなる…と思って、迷わず洗濯係を選びましたね。でも1年生のときは本当に、洗濯係オンリーでした(笑)」

普通であれば、控え暮らしで4年間が過ぎ去ってしまう。しかし岡野は意外なところでチャンスを引き寄せた。

「体育学科の授業で100㍍走のタイムトライアルがあったんです。現役バリバリの陸上部の人に、『君、サッカー部だろ? 足が速いだろうから一緒に走ってくれない?』と誘われました。陸上部の人はスパイクで自分はバッシュ(バスケットボール用のシューズ)しか用意してなかったんです。でも陸上部の彼に勝ってしまって……タイムは10秒7だったかなぁ。俺って足が速いんだって大学に行ってから気づいたんです」

この場を証言する目撃者がいる。大学時代、陸上競技の十種競技で日本チャンピオンになったタレント武井壮である。当時神戸学院大陸上部にいながら、強豪・日大の練習に参加していた武井が、陸上部を圧倒する〝バッシュの岡野〟に「あの足が速さは…いったい何者だ」ととてつもなく驚いたそうだ。

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May 06, 2020 at 08:02AM
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